夫絶賛入院中。
夫不在のお店のパトロールに行ったついでに、いつものコースで和菓子屋に寄る。まだまだ、少し歩くと汗ばむような気温でも、和菓子の世界はもうすっかり秋。柿と菊の上生を選び、お抹茶も買って帰宅。お店は異常なし。ほっとしたところでお茶を一服。それがとっても気持ちよくて、毎日お抹茶を点てて一服するのが習慣になった。
朝のコーヒーがお薄に変わり、毎朝と帰宅後に余裕があればシャカシャカ点てて一服。自分で点てて自分一人でいただくので緩いお作法ながら、一応習慣として背筋は伸ばしてみたりする。飽きっぽい私にしては珍しくすっかり習慣化した。
連休前、息子も私も体調を崩した。それでも連休中やること満載。病み上がりでなんとかこなしたので細かいことは後回し。私は家事を後回し。息子は宿題を後回しに。私は大人なので一応後回しにした家事の落とし前をつけるべく、昨夜頑張って終わらせて連休あけの朝を迎えた。息子は子どもなのでなんの考えもなく後回しは後回しのまま朝に。結局学校はおサボりすることになった。
ある意味修羅場。学校に行かせたい母と、行く気がない息子の衝突なのだから、平和な朝とは言えない。それでも私は、身支度を早めに終え、お茶を点て、背筋を伸ばして香りを楽しんでお茶をいただいてから仕事に出た。もやもやはあれどそれはそれ、仕事は仕事。息子は息子、私は私。
喫茶去…息子には「一昨日きやがれ」「お茶でも飲んで出直してこいや」という意味も持ちつつ、自分には「家族がこんな体たらくでも、自分を見失わないでお茶くらい立てなさいよ」と。なかなかに奥深き言葉。
ちなみに、私のお茶道具は亡き祖父が揃えてくれたもの。時々和菓子を買ってお薄を楽しんではいたけど、ここまで日常的にいただくのは初めて。夫の入院、息子の反抗となかなかにピリピリした日常の中で、祖父の優しさを思い出しながらお茶を点ていただくひとときは、今の私に必要な時間なのかもしれない。
喫茶去…息子には「今」しかないけれど、私には過去もある。お抹茶をいただくと思い出す祖父との思い出、美しい和菓子の記憶、先生の凜としたお着物姿、茶巾の千鳥のかわいらしさ、畳の香り、お茶をひく感触などなど…お茶の香りと共に過去の諸々が一気に私を取り巻いて気持ちを落ち着かせる。過去と今と未来がお薄のひと椀で繋がる。
なんて言うと偉そうで照れくさいけど、とにかく、「朝のお抹茶はよい」と言う話。