孤独なシスターフッド

3学期に入り、母の方が学校に足繁く通い、息子は登校しないという妙な状況になっている。一昨年の夫の手術、それ以来の体調不良からのがん闘病という我が家だから、パパっ子の息子の心が無傷なはずはなかったのだ。

スクールカウンセラーさんや担任に相談に伺ったり、提出物を出しに行ったりと、母はこのところしょっちゅう学校に行っている。なのに息子はさっぱり登校せず。正直私も夫も困っている。

昼間べったりと一緒にいると、怒りの矛先が理不尽にも私に向かってくるので、息子に留守番させるのは心配だけれど、仕事は続けることに決めた。仕事中もメッセを送ったりビデオ通話をしたりして私と夫で安否確認をしつつ、なんとかこのピンチを乗り越えようとやってみている。幸い上司は理解があるし、職場が自宅から徒歩5分かからない距離なので昼休みに帰宅できる。せっかく見つけたいい職場を簡単には手放せない。私自身の心の冷静さを保つためにも、仕事に集中したり同僚と話したりする時間が必要と感じてもいる。

仕事は介護サービス付きのシニアマンションの事務なので、いわゆる「女性の職場」。子育ての先輩がずらりといるから理解もしてもらいやすい。女性ばかりの難しさもあるのかもしれないけど、今までのところ私はメリットしか感じていない。

そんな職場で一番仕事ができるであろう大先輩が、今私よりピンチの様子。仕事ではなくご家庭の事情で半休を取ったり、休憩時間に慌てて家に帰ったりしている。夜もあまり休めないようで、気丈に振る舞ってはいるけれどお疲れが見えて心配になってしまう。私はよそ様の心配をしている場合ではないのだけれど、ついつい自分の現状と重ね合わせてしまう。

私の母と同じくらいの年齢で、仕事上怖いもの無しの先輩だから、彼女のほうが私なんかよりずっと早くさらりとピンチを切り抜けるんだと思うけど、心がざわざわしてしまう。

ざわざわの正体は多分シスターフッド。年齢や置かれた状況は違っても「女性だから」という一点でどこか重なる部分があるように感じて共感してしまう。若い頃は「私は私。他の誰かとは違う。カテゴライズしないで」という感覚が強かった。でも40歳になった今は「私は私だけど、ごくごく平凡な女性であり、娘、姉、母、妻でもある」と思う。矛盾は感じない。カテゴライズされるほど仲間が増える、という気すらする。

シスターフッドの目で見ると、家族のケアに悩みながら奔走する大先輩と私は、違うけど同じ仲間。彼女がどう感じるかはわからないけど、私は仲間と思って応援したいし、彼女の頑張る姿をできる限り真似て前に進もうと思う。

家族の悩みに向き合うことは、孤独と向き合うことだから、その孤独を抱えた者同士がたまたま同じ職場に居合わせたのは奇遇。シスターフッドで孤独を理解しあって、助け合うとまでは行かなくても、お互いに優しい気持ちで労わりあえたらと思う。

catswhiskers について

言うまでもなく猫好き。隠してもばれる程度にお酒好き。 こどもにはこどもらしく過ごせる時間を。大人には大人の世界を。 なるべく自然の中へ。こどもは育ち、母はほっと一息自分の世界へ…そういう子育ての日々。 「人よ、寛かなれ」色々あるけど「落ち着け、私」。
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