よちよち歩きのときから、我が家は外遊びの英才教育をビシバシとほどこしてきた。2年生の今も、勤勉なことに定期的に森で遊んでいる。
ターザンロープ、縄ブランコ、木登り(こっそり練習中)、泥遊び、穴掘り、とかげ捕り、火おこし、焼きビー玉、釘ナイフ、花をつんだり実を食べたり、スラックライン、相撲、鬼ごっこ、かくれんぼ、ベーゴマ、こま、たけとんぼ、ポップコーン、焼きマシュマロなどなど…
森には楽しいことがいっぱい。
この他にも、芝生に転がって空を見るとか、泥山から走りおりるとか、泥団子を壁に投げつける、みたいな「名もない遊び」も無限にある。
なんにも教えなくても、なんにも言わなくても、こどもは勝手に遊び始めて、暗くなるまで帰りたがらない。
私は「放牧」と呼んでいるのだけど、自然(適度な)の中ではママが必死にならなくても、こどもは勝手に満足するまで遊んでくれる。
森は遊びの選択肢も豊富だし、何より一緒に遊べる仲間がいる。仲間と言っても知り合いや友達とは限らない。その日たまたまそこに居合わせて、気が合いそうなら仲間。よちよち歩きのベビさんから、高校生のお兄さん、近所のお年寄りまで息子には「一緒に遊べるお友達」という感覚。
息子は小さい頃からの常連だから、森には仲のいい幼馴染も多いけど、雨で誰も知り合いがいないような日でも、初めましての誰かといつの間にかうちとけて遊んでいる。自分が初めましての場所でも、少ししたら常連のように馴染む。この能力(楽しむ力、気の合う仲間の嗅覚、おおらかさ)は、教えようとして教えられるものじゃない。教えたくてもそもそも私にはない力。息子よ、いいぞ!そのまま行け!
赤ちゃんの頃から年中入園まで、毎日のようにおにぎりを握って、森に川にと連れ歩き念入りに「放牧」した甲斐があったかな。
今日も森にて、幼馴染が二人で先に遊んでいて、後から仲間に入りたい息子が様子を伺っていた。セオリー通りなら「入れてー」とか「何してるの?」とか声をかけるのだろうけど、息子はいきなり一緒に走り出した。森を一周走ったら、もう遊びの一員になっていて、鬼ごっこなのかチャンバラなのかよくルールの分からない難解な?ものに溶け込んでキャッキャと楽しんでいた。そんなやり方もあるのね。入りたければ入ればいいだけ。ちょっと感心してしまった母でした。