日記というよりは雑記。
日々の小さなことを、虚空に向かってつらつらと。
好きなもの、出会った景色、思ったこと、忘れたくない言葉、家族の今など。
日記というよりは雑記。
日々の小さなことを、虚空に向かってつらつらと。
好きなもの、出会った景色、思ったこと、忘れたくない言葉、家族の今など。
体調がよくないせいかご機嫌斜めなことが多い夫。今朝はその不機嫌に全員巻き込まれて散々な目に。親子喧嘩と夫婦喧嘩が交錯し、たった三人の家族なのに気持ちバラバラなままそれぞれ家を出た。
夫の闘病経験(というか現在進行形)があるので、我が家には洒落にならない言葉だが、行ってきますと出て無事帰る保証がないのが人生だから、どんな時でも喧嘩別れはよくないと言ったりする。そう言われて育っているので、私は喧嘩を何日も引きずる事はしない。私の両親も祖父母もそうだったと思う。夫婦の実際は知る由もないが、少なくとも子や孫の前ではそうだった。
夫にはそういう感覚はないらしく、今朝は登校前の息子、仕事前の私に喧嘩をふっかけてきて不機嫌を撒き散らした。いい迷惑。一瞬「学校行きたくない」とベソをかいたが、気持ちを切り替えて登校した息子は偉かった。腑が煮えくりかえりつつ笑顔で仕事をした私も頑張ったと思う。
夫も仕事に出かけたがどんな一日だったやら。
子育ては子育ち親育ち。靴のサイズが私に追いついた息子は、日々すくすく育っている。親はどうだ?加齢とともに成熟ではなく退化していないか?感情をコントロールできなくなっていないか?大きくなっていく息子に権威を振り翳していないか?よくよく考えたい。
閏年。月末の仕事をなんとかギリギリに終わらせた達成感あり。今日が誕生日の母方の祖父を思い出す。ユニークな人だったから、閏年に生まれた双子なんてのも頷ける。祖母の誕生日が1月1日というのも納得。お似合いの夫婦だったのかも。時々無性に会いたくなる。私の中にも双子遺伝子が眠っているのだから、何人か産んだら双子だった可能性もある。平凡な私の人生にも、そんなビッグサプライズがあったかもしれないと思うとワクワクするような。
♪BGMは今日開かれた政倫審の中継。堂々と嘘をつく大人の言い訳を聞かされる地獄。志の輔の『親の顔が見たい』という噺は面白いが、現実でそう感じた時は笑えないものだ。
精神安定と安眠のために、短い日記のようなものを書こうと思い付く。
朝からプレイパークの作業手伝い→帰宅はせずそのまま午後一番で授業参観と懇談会→帰宅してすぐサッカーの付き添いという、三本立ての慌ただしい本日。極寒のサッカーグラウンドの隅でうっかり居眠りするほどに疲れ切った。それでもほっけを焼いてご飯を炊き、味噌汁、サラダ、副菜を作った自分を褒めたい。褒めたい。褒めるべき。
懇談会で級友のママさんが声をかけてくれた。息子が赤ちゃんの頃、ベビーマッサージやヨガをやっていた小さいサークルのお仲間だったのを思い出してくれたとか。私もすっかり忘れていたし、まさか同じ学区とも思っていなかったから驚いたけど、わざわざ声をかけてくれて嬉しかった。実はFBで繋がっていたのでメッセで改めてご挨拶はしておいた。
懇談会では担任が「娘と同じ年齢の学年を担任できて、いろいろ感慨深く楽しい一年でした」と目に涙を溜めて挨拶してくださった。熱心な先生だから、ご自分の子育ても一生懸命なんだろうな。一生懸命な分悩んだりもするだろうな。声をかけてくれたママ友のこともあり、担任も同学年の娘さんがいるならママ友みたいなものだし、妙なシスターフッドを感じた日。慌ただしくもとても良い一日。
♪BGMは『女港町』八代亜紀
夫絶賛入院中。
夫不在のお店のパトロールに行ったついでに、いつものコースで和菓子屋に寄る。まだまだ、少し歩くと汗ばむような気温でも、和菓子の世界はもうすっかり秋。柿と菊の上生を選び、お抹茶も買って帰宅。お店は異常なし。ほっとしたところでお茶を一服。それがとっても気持ちよくて、毎日お抹茶を点てて一服するのが習慣になった。
朝のコーヒーがお薄に変わり、毎朝と帰宅後に余裕があればシャカシャカ点てて一服。自分で点てて自分一人でいただくので緩いお作法ながら、一応習慣として背筋は伸ばしてみたりする。飽きっぽい私にしては珍しくすっかり習慣化した。
連休前、息子も私も体調を崩した。それでも連休中やること満載。病み上がりでなんとかこなしたので細かいことは後回し。私は家事を後回し。息子は宿題を後回しに。私は大人なので一応後回しにした家事の落とし前をつけるべく、昨夜頑張って終わらせて連休あけの朝を迎えた。息子は子どもなのでなんの考えもなく後回しは後回しのまま朝に。結局学校はおサボりすることになった。
ある意味修羅場。学校に行かせたい母と、行く気がない息子の衝突なのだから、平和な朝とは言えない。それでも私は、身支度を早めに終え、お茶を点て、背筋を伸ばして香りを楽しんでお茶をいただいてから仕事に出た。もやもやはあれどそれはそれ、仕事は仕事。息子は息子、私は私。
喫茶去…息子には「一昨日きやがれ」「お茶でも飲んで出直してこいや」という意味も持ちつつ、自分には「家族がこんな体たらくでも、自分を見失わないでお茶くらい立てなさいよ」と。なかなかに奥深き言葉。
ちなみに、私のお茶道具は亡き祖父が揃えてくれたもの。時々和菓子を買ってお薄を楽しんではいたけど、ここまで日常的にいただくのは初めて。夫の入院、息子の反抗となかなかにピリピリした日常の中で、祖父の優しさを思い出しながらお茶を点ていただくひとときは、今の私に必要な時間なのかもしれない。
喫茶去…息子には「今」しかないけれど、私には過去もある。お抹茶をいただくと思い出す祖父との思い出、美しい和菓子の記憶、先生の凜としたお着物姿、茶巾の千鳥のかわいらしさ、畳の香り、お茶をひく感触などなど…お茶の香りと共に過去の諸々が一気に私を取り巻いて気持ちを落ち着かせる。過去と今と未来がお薄のひと椀で繋がる。
なんて言うと偉そうで照れくさいけど、とにかく、「朝のお抹茶はよい」と言う話。
久々の投稿。
本日夫、手術のため入院。今回は一人で行くと言うので付き添わず。
2年前の手術で、癌の放射線治療で傷んだ顎の骨をとり、足の骨を移植した。それがうまく根付いていなくて再挑戦の機会を狙っていた。その間に癌再発騒動があって延ばし延ばしになっていたのが、ようやく先に進めたという経緯。
一度経験した手術だけに、本人は術後のつらさをイメージしてしまい怖いらしい。夫は手術の予定が決まってから約1ヶ月、明らかに落ち込んでいて家族としてはかなり気をつかった。準備の時間も限られていて荷造りが終わるのかも心配。手術当日は流石に付き添うので、その前後のホテル予約もギリギリ。今日無事に入院できて心底ほっとしている。
今日からは、パパ大好きな息子のフォローと、明後日の自分と息子の荷造りをする。帰ってこない家族がいると、心配してくれるのか吐いたり調子を崩したりしがちな愛猫2匹のケアも忘れずに。
今夜は早速お夕飯手抜き。お寿司を買ってきて済ませ、息子を早く寝かせた。明日からはなるべく早寝早起きして、自分自身の気持ちを明るく保とうと思う。
3学期に入り、母の方が学校に足繁く通い、息子は登校しないという妙な状況になっている。一昨年の夫の手術、それ以来の体調不良からのがん闘病という我が家だから、パパっ子の息子の心が無傷なはずはなかったのだ。
スクールカウンセラーさんや担任に相談に伺ったり、提出物を出しに行ったりと、母はこのところしょっちゅう学校に行っている。なのに息子はさっぱり登校せず。正直私も夫も困っている。
昼間べったりと一緒にいると、怒りの矛先が理不尽にも私に向かってくるので、息子に留守番させるのは心配だけれど、仕事は続けることに決めた。仕事中もメッセを送ったりビデオ通話をしたりして私と夫で安否確認をしつつ、なんとかこのピンチを乗り越えようとやってみている。幸い上司は理解があるし、職場が自宅から徒歩5分かからない距離なので昼休みに帰宅できる。せっかく見つけたいい職場を簡単には手放せない。私自身の心の冷静さを保つためにも、仕事に集中したり同僚と話したりする時間が必要と感じてもいる。
仕事は介護サービス付きのシニアマンションの事務なので、いわゆる「女性の職場」。子育ての先輩がずらりといるから理解もしてもらいやすい。女性ばかりの難しさもあるのかもしれないけど、今までのところ私はメリットしか感じていない。
そんな職場で一番仕事ができるであろう大先輩が、今私よりピンチの様子。仕事ではなくご家庭の事情で半休を取ったり、休憩時間に慌てて家に帰ったりしている。夜もあまり休めないようで、気丈に振る舞ってはいるけれどお疲れが見えて心配になってしまう。私はよそ様の心配をしている場合ではないのだけれど、ついつい自分の現状と重ね合わせてしまう。
私の母と同じくらいの年齢で、仕事上怖いもの無しの先輩だから、彼女のほうが私なんかよりずっと早くさらりとピンチを切り抜けるんだと思うけど、心がざわざわしてしまう。
ざわざわの正体は多分シスターフッド。年齢や置かれた状況は違っても「女性だから」という一点でどこか重なる部分があるように感じて共感してしまう。若い頃は「私は私。他の誰かとは違う。カテゴライズしないで」という感覚が強かった。でも40歳になった今は「私は私だけど、ごくごく平凡な女性であり、娘、姉、母、妻でもある」と思う。矛盾は感じない。カテゴライズされるほど仲間が増える、という気すらする。
シスターフッドの目で見ると、家族のケアに悩みながら奔走する大先輩と私は、違うけど同じ仲間。彼女がどう感じるかはわからないけど、私は仲間と思って応援したいし、彼女の頑張る姿をできる限り真似て前に進もうと思う。
家族の悩みに向き合うことは、孤独と向き合うことだから、その孤独を抱えた者同士がたまたま同じ職場に居合わせたのは奇遇。シスターフッドで孤独を理解しあって、助け合うとまでは行かなくても、お互いに優しい気持ちで労わりあえたらと思う。
夫の実家にて缶酎ハイを飲みながら、大好きな「クレナンデス」を流し見しながら書いている。非凡な一年の締めくくりが、まさかこんなに平凡な大晦日なんて。私は運がいいのか悪いのか。
余命宣告されて年内に死ぬかもしれなかった夫は死なずに済んで、家族揃って帰省までできるほどに回復。今パジャマで寝転がりながら、息子と一緒にテレビを観ている。
コロナ禍で3年以上帰省できていなかったので、高齢の義母にはもう会えないままお見送りすることになるかもと覚悟していたが、なんとか持ちこたえてくれて再会できた。これは献身的にお世話をしている義妹のおかげ。義父はすでに他界。義妹は実家住まいで独身なので、仕事をしながらいわゆるワンオペで義母を介護している。ワンオペ育児の大変さはじわじわと世間に知られてきているが、ワンオペ介護の過酷さももっと知られるべき。
そんな義実家の状況も、夫の闘病も、息子のあれこれも、秋から始めた私の仕事も…書きたいことは山ほどあるけど、今夜は大晦日。あんまり野暮なことはしたくない。とりあえずはこんなに穏やかな大晦日を過ごせていることに感謝することだけにとどめて、真っさらな新年を迎えたい。
夏休み2日目にして夏の思い出づくりばっちり完了。お疲れ様。
朝から近所の陶芸教室の夏休み企画に参加してお茶碗づくり。昼ごはんは回転寿司。その後、幼稚園時代のお友達と公園遊び。完璧な一日。
陶芸教室は、初めての場所に初めましてのメンバー。朝送っていったときにはやや緊張していた。多分参加者は女の子ばかりだし、パッと見小さい子が多そう。うちの子大丈夫かな?と心配しつつ預けてきたのは杞憂。
迎えにいったらにっこにこで出てきて「ママ、あそこに釜があるよ。こっちも見て!すごい面白いよ」とアトリエを案内してくれた。周りの子たちもみんな仲良くなったみたいで「誰のお母さん?」「私は猫の模様にしたよ」など次々話しかけてくる。学校の教室みたいな親密で楽しげな空気。
たった2時間で10人くらいのちび達を手なづけ、しっかり作品を作らせて、しかも仲良くさせちゃうなんて…あの先生、只者ではない!すご腕!アシスタントも無し、保護者もなしみたいだから、本当に尊敬。機会があれば、私もレッスンを受けたいと思える素敵な先生。子育てきっかけで時々ご褒美みたいに訪れるいい出会い。
久しぶりの幼稚園仲間との再会も、息子だけでなく私にとっても楽しい時間。引越ししたり下の子が生まれたり色々変化しても、変わらず仲良くできるママ友の存在はありがたい。夫の体調についてもある程度話しているから、気遣ってもらって心の凝りみたいなものがほぐれた感じ。
33度まで上がった暑い一日。ママ友が買ってきてくれたソーダアイスを公園でいただいた。「溶けるー」「冷たいー」なんてワイワイいいながら木陰で並んでアイスを食べるなんて何十年ぶり⁉︎こういうシーンも子育て中ならでは。暑い公園で食べる冷たいアイス…一生忘れない思い出になった。絵日記の宿題があったら、私、今日のアイスと青空を描くなー。
息子の誕生日ケーキはサーティワンのピカチュウケーキに。私は大人げなく31のアイスもポッピングシャワーのパチパチも大好きなので、ポッピングシャワー食べ放題ケーキ最高♪
お値段はかわいくないけど、息子も喜んでくれてよかった。お値段はかわいくないけど。ないけど。
先日友人夫婦と家族で集まってお祝いをした。ケーキもご馳走もそのときに食べたので今日は簡単に。ケチャップライスと家族みんなが大好きなお店のコロッケ。一応お子様ライス風に飾って出した。
8歳…どんな一年になるかな。
夫の胸の腫瘍、ひどい時には厚みが出てしまって擦れたり何かちょっとぶつかったりすると血が出たりしていた。ナプキンやガーゼを当てて止血したり、保護したりしている状態。でも最近は中の膿がなくなり平になってきた。真ん中がジュクジュクした感じが収まってきて普通の皮膚の感じになってきている。火傷の治りかけのような感じ。
ひどい時には扱いが難しかったので、毎朝晩私がガーゼを替えたりするのを手伝っていた。今は夫が自分でできる。その分私は状態を観察していなかった。今朝久しぶりに見てかなりびっくり。かなり改善している。あくまで外見の改善だけど。
浮腫も改善しているし、いい兆候と信じたい。
ただ、夫自身はそこまで大喜びはしていない。体力や、悪化、癌以外の不調の可能性も考えると不安みたい。それはもちろんよくわかる。今朝「1年くらい目処に仕事探してね」と念押しされた。求職、本腰を入れなくては。実は私も結構疲れてきていて、求職活動をお休みしていた。体調が悪い悪いと聞かされる日々もなかなかつらいもので、徐々に気持ちを蝕まれている感覚がある。仕事に目を向けるのも健全かも。近々、また患者家族として支援センターに行こうかな。